農業を変えたい「黄ニラ&パクチー農家」で脱サラ・独立…全身黄色の理由とは?

公開日:2023年08月18日

サラリーマンのなかには「脱サラして農業を始めたい」という人もいますが、農業を始める際に悩みがちなのが何を栽培するかです。

今回取材した植田 輝義さんは、黄ニラとパクチーという少し特殊な野菜を栽培する人物。黄ニラの味に魅了され、思わず脱サラしてしまった植田さんですが、一体どのように一人前の農家となったのでしょうか。

農家になった経緯や、他地域からやってきて農家を始める苦労、開業資金・売り上げなどを伺ったので、農家での脱サラ・独立に興味がある方は参考にしてみてください。



目次

岡山の特産品「黄ニラ」と「パクチー」の栽培で脱サラ・独立

黄ニラの農家を始めたのは「一杯の味噌汁に感動して」

農家の婿として移住!しかし村に溶け込めず辛い日々を送ることに

「パクチー栽培」が打開策に!しかし独特の味と栽培の難しさに苦労も

農家として生き残るためには「顔が見えること」が大切

黄色い格好をしてるのは「農業のイメージを変えたい」から

岡山の特産品「黄ニラ」と「パクチー」の栽培で脱サラ・独立

黄ニラを世間に広めるため、自身も全身黄色い格好している植田さん。「農業のイメージを変えたかった」と話す植田さんですが、一体なぜ黄ニラとパクチーという少し変わった農作物を栽培しているのでしょうか。

はじめに、どのような仕事をしているのか教えてください。

植田さん「岡山県の特産である黄色いニラ「黄ニラ」に加えて、岡山県のマイルドパクチー「岡パク」を作って生産販売してます。

黄ニラは折れやすかったり痛みやすかったりするので、すべて手作業です。パクチー栽培は23年目に入りますが、岡山で盛んなパクチー文化は私が始めたと言えるかもしれません」

その2つの作物だと、どちらの売り上げが大きいのでしょうか。

植田さん「売り上げの6割がパクチーで、4割が黄ニラですね。収穫量は黄ニラが年間約20トンで、パクチーは季節によって上下しますが10~20トンを栽培している状況です。

黄ニラは私が住む街だけでなく県北でも栽培されていて、栽培が盛んな野菜だと思います。パクチーは海外のものというイメージが強いですが、実は私が栽培を始めた23年前にはすでにほかの県でも作られていました。やっと今、岡山で根付きつつあるところです」

黄ニラの農家を始めたのは「一杯の味噌汁に感動して」

植田さんは農家を長く続けていますが、もともと農業関係の仕事をしていたのでしょうか。

植田さん「もともと、鉄を延ばす仕事を6年ほどしていました。大きなクレーンに乗って、荷物を大型トラックに搬送する仕事ですね。大手の会社だったので社員も1,500~2,000人くらいいましたし、給料も安定して、仕事も順調だったと思います」

それでは、会社に不満はなかったのでは。

植田さん「そうですね。ただ、どこかで「このままで良いのだろうか」という引っかかりがありました。とはいえ、ほかに何かしたいことがあったわけでもなく、漠然と「もっと人と関わりたい」という想いだけがあった感じです」

なるほど。その状態から、どのように現在の農家という仕事に辿り着いたのかが気になります。

植田さん「当時お付き合いしてた彼女、今の妻がここ岡山の黄ニラ農家の娘でした。あと、彼女と一緒にこの土地に来たとき、当時私は都会で働いていたので、ここの豊かな自然を見て心を掴まれたのもあります。

初めて訪れた日、綺麗な黄ニラの光景を見た後、黄ニラの料理をご馳走になったんです。そこで黄ニラの味噌汁を初めて味わったら、あまりの美味しさについ感動してしまって。黄ニラの光景や味など何もかもが新鮮で、その感動をきっかけに農業を始めようと決めました」

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農家の婿として移住!しかし村に溶け込めず辛い日々を送ることに

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すごい決断ですね。とはいえ、初めての農業に不安はなかったのでしょうか。

植田さん「ワクワクした気持ちと不安が半々でした。あと当時は若かったので、移住して農家を始めたら歓迎してくれるかなと少し期待していたのですが、実際入ってみると違いました。

村の人にとっては、何も知らない見ず知らずの若者が急に婿になって農家を始めたので、不安だったと思うんですよね。歴史のある産地なので「軽い気持ちで農業をされたら困る」という気持ちもあったのではないでしょうか」

その土地ならではの事情ですね。それで実際に村にやってきて、農家として何から始めたのか教えてください。

植田さん「義父と義母に付いて、農作業の雑用をしていました。そこで実際に農業を始めてみて、農業という職業を自分は舐めていたんだなと感じましたね。

農業は雨1つで状況が変わりますし、暑くても寒くても作業をしなければいけない。最初は結果になかなか繋がらないし、やらされている感もあったのでしんどかったです」

辛い想いをしながらも、辞めようとは思わなかったのでしょうか。

植田さん「移住から2年後、人間関係で馴染むのが難しかったときに辞めたいと思いました」

「パクチー栽培」が打開策に!しかし独特の味と栽培の難しさに苦労も

なかなか辛い状況ですね…。そこで、何か打開策は打ちましたか。

植田さん「そのときに、東京の市場の方から「パクチーを作ってみないか」と提案があったんです。私のような若者が農家に入ったことで、今までにないパクチーという野菜を始めてくれることを期待していたようでした。

このパクチーを栽培するようになってから、農家の仕事を自分ごととして考えられるようになり、そこから道が開けていった感じです」

パクチーで道が開けたんですね。それで、最初からパクチー栽培は上手くいきましたか。

植田さん「当時はパクチーという野菜がよく分からなかったので、見よう見まねで種を撒くところから始めました。それで実際に、出来上がったものを最初に食べてみたときは、味がきつくて驚きましたよ。

ただ、東京の市場の人が「最近はパクチーが流行り始めている」と言っていたので、それなら「パクチーが嫌いな僕でも食べれるようなものを作りたい」と発想を変えることにしたんです。そうしたら品種選びに成功して、市場評価も上がり、少しずつ取引先も増えていきました」

パクチーは海外で栽培するイメージがありますが、黄ニラと比べてパクチーの栽培はやはり難しいのでしょうか。

植田さん「パクチーのほうが少し難しいです。1年間一定の品質を保って、一定の出荷量を提供できるかというと、難易度はかなり高いと思います。長雨や暑さ、病気などで必要な量の10分の1しか取れない時期もありました」

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農家として生き残るためには「顔が見えること」が大切

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初年度の売り上げはどのくらいでしたか。

植田さん「法人化した5日後に西日本豪雨の被災を受けて、大赤字でした」

それは災難でしたね。また、売り上げを伸ばすために意識したことなどはありましたか。

「例えば生野菜を作ってただ販売するだけだと、お客さんとの距離が縮まらないですよね。「あの人の野菜が食べたい」や「あの地域の野菜がほしい」とお客さんから思ってもらわないと、生き残ってはいけません。

生産者と消費者の顔が見えることが大切だと私は思っているのですが、それを村の人に言ってもなかなか伝わらず苦労しました」

なるほど…。ちなみに、開業資金はどのくらいかかりましたか。

植田さん「婿としてやってきたので0円でしたが、法人化するときにハウスを11棟建てたのと、農業機械やトラクターなどで自己資金を100万円ほど使いました」

年商やランニングコストはどのくらいでしょうか。

植田さん「年商は3,000万円いかないくらいです。黄ニラとパクチーという野菜は飲食店がメインになるので、コロナ禍でお店が止まったときは少し厳しかったですね。

ランニングコストは人件費が約3割ぐらい。肥料や農薬、資材原油の価格が最近は上がっているので、少し厳しさを感じています。なので作付面積を増やしたり、データを見ながらベストなタイミングで出荷したりなどを意識しています」

黄色い格好をしてるのは「農業のイメージを変えたい」から

そういえば植田さんは黄色い服を着ていますが、黄ニラと何か関係があるのでしょうか。

植田さん「黄ニラをまず地元岡山の人に、それから県外の人に広めたいという想いがあります。また、楽しく農業に取り組みたいという気持ちもあってこの格好をしています。

実際にこの格好で保育園や企業へ足を運び、食育として農業の話をさせてもらったり、実際に学校で黄ニラを作ったりといった活動もしています。農業は高齢化のイメージが強いので、イメージを変えていきたいですね」

黄ニラの普及や農業のイメージ改善などの目的で、あえて黄色い服を着ているんですね。また、実際に植田さんが脱サラしてみて、良かったことと悪かったことがあれば教えてください。

植田さん「良かったことは、自分の判断で仕事や時間を作れることです。ただ、気候で収入が不安定になりやすいので、そこの怖さは感じています」

なるほど、ありがとうございます。それでは最後に、これから脱サラしたい方へアドバイスをいただけますか。

植田さん「脱サラについて悩めば悩むほど動けなくなると思うので、それなら一歩踏み出して欲しいです。脱サラには、しっかり情報収集して計画を立てて動くパターンと、あえて深い情報を得ずにまず一歩動くパターンがあると思います。私は後者で、それが今となっては良かった。脱サラしたい方は、私の話から何かを感じていただけたら幸いです」

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