ふんどしとの出会いが人生を変えた。日本伝統の下着「ふんどし」を普及する日本ふんどし協会 中川ケイジさん(前編)

公開日:2020年04月08日

2月14日は何の日かご存知だろうか。大半の人が「バレンタインデー」と答えることだろう。もちろん、それで正解だ。

しかし、2月14日は「ふんどしの日」でもあるのだ。

近年、ふんどしが静かなブームになっている。ふんどしの普及に貢献した人々を表彰する「ふんどしアワード」といったものや、2016年の2月14日には江ノ島電鉄を使った大々的なキャンペーンも行われた。

最近では、婦人用のふんどしも女性誌で取り上げられるなど、注目のアイテムなのだ。

そのふんどし普及を行っているのが、日本ふんどし協会会長の中川ケイジさんだ。協会で普及活動を行うと同時に、おしゃれなデザインのふんどしブランド「SHAREFUN®(しゃれふん)」も設立。いちふんどしメーカーとしても活動している。

中川さんは現在40歳。子どもの頃からふんどしを締めていた世代ではない。なぜ、ふんどしで起業しようと思ったのだろうか。

目次

阪神大震災が一度目の転機

大学卒業後、通信教育で美容師に

まったく結果が出なかったサラリーマン時代

東日本大震災が二度目の転機

やりたくないことを列挙して出た答えが“ふんどし”

ビジネスモデルは「ステテコ」

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阪神大震災が一度目の転機

中川さんは兵庫県神戸市出身。高校までは神戸で暮らしていた。そして1995年、阪神大震災を体験。実家は全壊した。

「高校3年生のときでした。家が壊れ、友人が亡くなり、呆然としました。そのとき、“生き延びたのだから、好きなことをして生きていかないと”と思ったんです」

その後、駒沢大学経営学部に入学。それなりに楽しい大学生活を送っていたようだが、特に将来の展望などはなかった。

インタビュー1

「ちょうど就職氷河期と言われていた時代で、まったく企業に受からない。なんとなくIT系やファッション系の企業を受けていましたが、一次審査すら通らないんです」

そのとき、中川さんは自分が何をしたいのか、冷静に考えたという。その結果、美容師になることを決意する。大卒の美容師なんて、当時はほとんどいなかっただろう。

「当時、木村拓哉さん主演のドラマ『ビューティフルライフ』が流行っていたというのもあるんですが(笑)。組織で働いている自分がイメージできなかったんです。自分の実力次第で先輩後輩関係なくお給料が変わるような、プロフェッショナルな世界に憧れていたと同時に、自分に合っているのではと思いました」

また、「大卒の美容師がいないからこそ可能性があると思った」と語る。どうやら、この辺りから今のふんどしへの布石はあったようだ。

大学卒業後、通信教育で美容師に

美容師になるために、大学卒業後は地元神戸に戻り、サロンに就職。働きながら3年間の通信教育で美容師の資格を取得した。美容師時代のことを尋ねると「すごく楽しかった」との答えが返ってきた。

「自分で考えて自分で決めていたからだと思います。技術を取得するための試験がたくさんあるんですが、それをどうやったら最短でクリアできるかを自分で考えてやっていました。学生時代は与えられたことを何も考えずにやっていた感じでしたが、美容師時代は自分で設定した目標に対して、いかに最短でいけるかというのを、あれこれ試しながらやっていたなと思うんです」

美容師の資格を取りスタイリストになった後も、顧客獲得のために当時はまだ珍しかったブログを始めたりするなど、アイデアがあればすぐに実行していたそうだ。

まったく結果が出なかったサラリーマン時代

そして美容師になって5年が過ぎたころ、30歳のときに転職。お兄さんが経営するコンサル系の会社の営業職に就く。美容師時代にある程度顧客もついていたこともあり、営業ならできると思ったという。この転職を機に、再び上京する。

だが、まったく成果が出なかった。

インタビュー2

「平日は朝から終電まで働いて、土日も出勤。頑張ってはいたんですが、全然結果が出なかったんです。振り返れば、商品とかサービスに対しての思い入れが薄かったからだと思います」

働けど働けど、結果が残せない。また、社長の親族というプレッシャーもあっただろうと推測できる。しかし、最大の要因は「愛」だ。やりたくない仕事をいくら頑張っても、結果なんて出ない。しかし、当時の中川さんは「自分のやり方が悪い」と思い込み、がむしゃらに働く。

そして、うつ病を患ってしまう。

東日本大震災が二度目の転機

そんな状態のまま働き続けていた2011年3月、東日本大震災が発生。中川さんは当日、渋谷の会社から巣鴨の自宅まで4時間ほどかけて徒歩で帰宅した。そのとき考えたのが「4年半サラリーマンをやっていて、誰かにありがとうって言われたのかな」ということだった。

「歩きながら阪神大震災のことを思い出して、今の自分は好きなことをやれてないし、誰からも感謝されていない……。おそらく今回の震災で多くのほんとうに必要な人たちが亡くなってしまうだろうと考えたときに、自分の存在意義ってなんだろうと、思い詰めてしまったんですよね」

おそらく、すでに精神的にギリギリの状態だったのだろう。この震災を契機に会社を休職。うつ病での休職=退職というのは決定的だった。

サラリーマンになって考えていたことは、「どうやったら自分の年収が上がるだろうか」ということばかりだったそうだ。つまり、仕事に対する大義がなかった。すでに結婚もしていたということなので、安定した生活を目指そうとすればそういう考えになるのもうなずける。

しかし、中川さんの精神がそれを拒否した。半年間のドクターストップがかかり、休職。そのとき、自分に何ができるのかを考えたが、何も出てこなかったという。

やりたくないことを列挙して出た答えが“ふんどし”

「逆に、やりたくないことはなんなのかというのを考えたら、いっぱい出てくるんですよ。会社員にはなりたくない。後輩のマネジメントはしたくない。営業もしたくない。電車に乗らない。海外旅行に行っても仕事ができる。だけど成功のチャンスがある、みたいな」

インタビュー3

本人いわく「わがままな条件で考えてみた」結果、自分で起業するしかないという結論に至る。そこで思い浮かんだのが“ふんどし”だ。

休職する少し前、取引先の人との会議中に、その人がふんどしを締めているということで、見せてもらったことがあった。そのときに、血の巡りがよくなるという効能を聞いて自分も試してみようと思い、それから中川さんは就寝時にふんどしを締めていたという。

「美容師時代とサラリーマン時代で何が違ったのか。それは楽しくなかったんです。楽しくなければ続きませんよね。そこで、今自分が楽しいことはなんだろうと考えたときに、ふんどしを締めて寝るときが楽しいなと思ったんですね」

当時中川さんが締めていたふんどしは、いわゆる白ふん。当時は、ふんどしといえば赤か白しかなく、ほんとうにほしいふんどしはなかったという。

ビジネスモデルは「ステテコ」

そのとき、中川さんが思い浮かべたのが「ステテコ」だった。数年前からおしゃれな柄のステテコがブームになり、それまでのステテコのイメージががらりと変わって、世の中に広まった。しかもそれは一時的な流行ではなく、女性にも愛用されるようになったり、ルームウェアとして使用する人が増加したりと人々の生活に浸透していった。

「とてもうまいなと思って。もともとあったステテコの形を変えずに、使うシーンを変えたりデザインの幅を広げたりしただけで全く新しい価値を創り出したわけですから。同じように、ふんどしも僕がこんなに気に入ってるんだから、可能性があるのではと思ったんです。すごいブームにならなくても、僕一人が食えるくらいのスモールビジネスなら、アパレルの知識がなくてもできるんじゃないかと。それならすぐに起業できるかもしれない」

ふんどしは、布と紐だけで構成されているとてもシンプルな構造だ。技術的な優位点を見出して特化するのは難しい。そこで中川さんは「ふんどしはコミュニケーションツールだ」と定義した。

「取引先の人にふんどしを締めているところを初めて見せてもらったとき、お祭りでよく見るネジネジしたものを想像していたら、意外とシンプルでギャップがありました。越中ふんどしというのは日本人が昔から使っていた下着だから、シンプルなんですね。締め付けもなくて健康にいいという話もおもしろかったし、初めての人とコミュニケーションが取りやすいものだなと思ったんです。だから、僕は下着屋さんをやろうとしているんじゃなくて、コミュニケーションのきっかけになるアイテム作りをしたらおもしろいなと思ったんですよ」

中川さんは「どうしたらふんどしを他人にプレゼントしたくなるか」というアイデアを考え始めた。すると、次から次へとアイデアが湧いてきたという。

後編では、ふんどしで起業を決意した中川さんのビジネススタート時の話からふんどしの普及活動についてご紹介します。
ふんどしとの出会いが人生を変えた。日本伝統の下着「ふんどし」を普及する日本ふんどし協会 中川ケイジさん(後編)

公式ウェブサイト
一般社団法人日本ふんどし協会

オンラインストア
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