日本初の“占いカー”に挑戦!脱サラ・独立を成功に導く「イベント企画力」とは
最終更新日:2024年09月20日
コロナ禍や円安など、脱サラするのに躊躇してしまう昨今。そもそも独立するにしても「何をしたら良いのか分からない」という方も多いことでしょう。
今回取材した吉田 健一さんは、コロナ禍の経営でどん底を味わいながらも、逆境から「占いカー」という日本初の事業を思いついた人物です。
イベントと占い事業を手がける吉田さんに、独立の苦労や会社員とのギャップ、これから脱サラする方へのアドバイスを伺ったので、ぜひ参考にしてみてください。
目次
弁当配達から「うちの会社に来い」と声をかけられイベント業界へ
挑戦できるけど不安定なのが経営者…脱サラのメリット・デメリット
イベント会社で脱サラ!コロナをきっかけに占い事業にも挑戦
弁当屋からイベント会社、そして占い事業と一風変わった経歴を持つ吉田さん。一体どのようにして脱サラしたのか、その経緯を詳しく聞きました。
仕事内容について教えてください。
吉田さん「社会貢献や福祉、障害スポーツ、地方創生などのイベントを企画制作する会社を経営しています。たとえば過去には国宝松江城をイベントの舞台にして、そこでお客さんに攻め手と守り手に分かれてもらい、昔のお城の戦闘を体験するイベントを開催しました」
そういったイベントは、吉田さんが全て企画されているのでしょうか。
吉田さん「そのときは、アニメ制作会社とコラボしながらアイデアを出して門や弓を作りました。ほかにも大手企業のCSRとして、障害者のオリンピックや子どもたちのスポーツイベントなどを開催しています。
また、イベント以外の事業として、もともとBtoCの消費者イベントをやりたいという思いがあったので、今年から占いも始めました」
占いですか。なぜまたそんな異業種に挑戦したのでしょう。
吉田さん「もともと私の会社はコロナ前まで順調で、プレゼンのコンペで億単位の案件ももらっていたんです。ですが、それがコロナで全てゼロになりました。
何か消費者向けの事業をやりたいと思い、占い屋へ相談に行ったんです。落ち込んでいたときに占いをやったらなんだか勇気をもらい、「自分みたいに悩んでいる人もいるのでは」と思ったのが占い事業を始めたきっかけです」
人を楽しませたい一心で、日本初の「占いカー」が誕生
コロナが理由で占いを始めたんですね。
吉田さん「コロナで事業がダメになったとき、精神科に行こうかとも考えたんです。ですが、そこまで行くのは嫌で、軽く誰かに相談したかった。そこで占いに行った流れです」
吉田さんは軽トラで「占いカー」として営業していますが、それもなかなか珍しいと思います。
吉田さん「日本初や業界初、世界初など、私は誰もやったことがないことをやるのが好きなんです。走る占いサロンは日本初で、まさにキッチンカーみたいなものですよね。
過去には長野県のリゾートホテルまで軽自動車で4時間半かけて行って、従業員や地元の方々を占ったこともあります。車内に占い師が2人いて、同時に2人占うという形です」
面白いですね。どうしてそんなアイデアが思いつくんですか。
吉田さん「思いつきですよ。とにかく人を楽しませること、今までにないものを作るのが好き。実績はないけど、二番煎じは嫌なんです」
なるほど。そうなると、失敗のリスクも高いのでは。
吉田さん「もちろん。この占いカーもまだ成功していませんから。大きな赤字ではありませんが、10月に始めて、10月と11月は赤字です。イベント事業はコロナ禍から売り上げが戻ってきていますが、こちらも売り上げがない月が何ヵ月もありました」
弁当配達から「うちの会社に来い」と声をかけられイベント業界へ
イベントや占いなど、吉田さんは会社員時代も人と関わる仕事をしていたのでしょうか。イベントに関わることになったきっかけを教えてください。
吉田さん「23歳のときにお弁当屋さんで配達をしていたのですが、そのとき私はピアスをしていたんです。それで、とあるイベント屋に配達に行ったら「お前何やってんだ」と怒られて。なぜか「うちで働け」と言われて、そのまま入社を決めてしまったんですよね」
よく決断しましたね。何か心が躍る感覚があったのでしょうか。
吉田さん「今思えば、小学生の頃から人前に出るのが好きだったことが関係しているかもしれません。
それに想像ですが、ほとんどの人は就職するとき、これが自分の命をかけてやる仕事だと思って入社していないのではないでしょうか。私もそのパターンで、入社してみたらとても楽しくて、入社後に仕事を好きになったんです」
具体的にどんなところが楽しかったのか知りたいです。
吉田さん「お客さんの笑顔を直接見られたり、楽しんでる姿を考えたりするのが面白かったですね」
会社員として充実していたなら、独立する必要はなかったのでは。
吉田さん「ただ、うちは両親を含めてみんな経営者で、自分も社長になりたいという思いがあったんです。39歳で起業しましたが、40歳になるまでには絶対に会社を作ろうと思っていました」
失敗に終わった独立1年目…目先の欲に眩んで赤字に
開業資金について教えてください。
吉田さん「イベント事業は基本的に受注なので、開業資金はそんなに必要ありませんでした。お客さんから預かったお金のなかでやりくりして、下請けさんには売掛が入ってきてから支払います。創業資金でいえば500万円くらいでした」
すぐに黒字化するものなのでしょうか。
吉田さん「それが、1年目は目先の欲にくらんで赤字でした。とりあえず売り上げを上げなくてはという焦りがあって、自分本位になってしまったのです。お金儲けをしたいのか、それとも顧客のことをちゃんと考えているのか。きっと、見る人が見れば分かったと思います」
それでクライアントが離れてしまったと。
吉田さん「離れてしまったし、依頼も来なかったので赤字でした。ただ、初年度の売り上げが3,000万円で赤字でしたが、それからは黒字が続いています。最も売り上げが良かったときは1億2,000~3,000万円くらいで、年収は役員報酬で3,000万円くらい。売り上げもコロナ禍から4分の3くらいまで戻ってきています」
最初は1人で事業をやっていたんですか。
吉田さん「最初は1人でやっていて、何年か経ってから人を雇って3人になりました。末端まで入れると200人くらいになりますが、それは全て外注です。会社の年商が1億2,000万円くらいで、30~40%は純利益として得られます」
挑戦できるけど不安定なのが経営者…脱サラのメリット・デメリット
では、今は経営が上手くいっているんですね。スケジュールや稼働時間はどのくらいでしょうか。
吉田さん「まちまちですね。お客さんとの打ち合わせやコラボ先探し、占い活動などいろいろありますが、暇は自分で作れますから。コロナのときに一生分休んだので、もう休みはいりません。ほかの経営者の方もそうだと思いますが、休みがあると不安になります」
なるほど。ちなみに、経営の知識はどこで学んだのか気になります。
吉田さん「サラリーマン時代は歩合制だったので、そのときに学びました。ただ、実際に起業してみると、現実は違いました。脱サラは好きなことを何でも自分でできますが、その反面全部自分に降りかかってきますからね。
私がサラリーマンをやっていたときは「どうせもらえる給料は一緒だし」と結構さぼっていましたが、脱サラしたらさぼった分は全部自分に降りかかってきます」
やはり脱サラして良かったことは「自由」、悪かったことは「責任」などでしょうか。
吉田さん「良かったことは、自分の思い描いたことや初めてのことに挑戦できること。何かに挑戦するとき、会社員なら「本当にリスクヘッジしているのか?」なんて言われますから。
悪かったことは、守られていないことですね。例えば今回の世界的なコロナ禍で、私よりも大変な思いをしている人はいると思います。ボーナスが無くなったり給料が下がったりしても、会社員はちゃんと月給が支払われるのが羨ましいです」
「自分にはこれしかない」と若いときに決めないことが大切
吉田さんは今後、何か挑戦したいことなどありますか。
吉田さん「大きく括ると、エンタメでどんどんいろんなことを作っていきたいです。将来私は、ずっとエンターテインメントをやって、人を喜ばせたいていたいんです。占いは1兆円にもなる大規模産業ですが、23区内に5万人もいる占い師さんは飽和状態になっています。
最終的にはこの占いカーをフランチャイズ化して、占いを始めたい人や現役の占い師さんに貸し出したいです。短期的な夢ですが、人を明るくするのが私の支えなんです」
吉田さんは仕事をとても楽しんでいるのが伝わってきます。やはり、好きになれる仕事が見つかるまで、いろいろと挑戦すべきでしょうか。
吉田さん「そうですね。自分にはこれしかないと、学生や20代の若いときに決めないのが良いです。もし後輩に脱サラしたいと相談されたら「考えている時間がもったいないので、すぐにやれ」と言うと思います。社長には誰でもなれるので、起業するのが一番良いですよ」
ありがとうございます。それでは最後に、脱サラしたい方へメッセージをお願いします。
吉田さん「小さな一歩でも、まずは踏み出すのが良いと思います。脱サラしたいのなら、起業するための行動をすぐに起こすこと。株式会社は企業からの信頼度も高いし、検討してみても良いかもしれません」
キッチンカー・移動販売
公開日:2023年04月21日