元プロボクサーがラーメン屋の経営者で脱サラ&独立!開業資金や修業時代のエピソード
最終更新日:2023年07月14日

自分で飲食店を始めたいと思いつつも、「何から始めれば良いのか分からない」や「開業資金はいくら必要なのか知りたい」という方もいるのではないでしょうか。
今回取材した樋上 正径さんは、学生時代にプロボクサーとして活躍し、それから通信会社へ勤務。その後「自分には会社の仕事が合わない」と感じ、ラーメン作りの修業をしてから自分のお店を開業しました。
そんな樋上さんに会社を辞めたときのことや修業時代の苦労、開業資金と年収などを伺ったので、自分で飲食店を始めたい方などは参考にしてみてください。
元プロボクサーがなぜ経営者に?その変わった経歴と独立の流れ
プロボクサーからラーメン屋という少し変わった経歴の樋上さん。今では有名ラーメン屋の経営者として成功していますが、それまでには職を転々とした過去や、寝ずに働いた修業期間など多くの苦労がありました。
ラーメン屋の前は、どのような仕事をしていたのか教えてください。
樋上さん「大学時代にボクシングジムに所属し、大学生兼プロボクサーをしていました。ただ、プロとしてやってはいたものの、同じジムにいる世界チャンピオンの方たちを見ていると「自分はダメだな」と、自分の才能に対して少し冷めた目で見ていたんです。
それで大学4年生を迎えたとき、周りが就職活動を始めるのを見て焦り、手あたり次第に有名企業を受けました。現実問題、プロボクサーでは食べていけないですからね。最終的に、NTT西日本という大手の通信業者に入社しました」
最初は通信系の会社に入社したんですね。
樋上さん「SEの仕事で入社し、2年ほどSEとして働いてから法人営業の部署に異動しました。私はもともと初対面の人とうまくコミュニケーションを取れるタイプではなかったので、当時は結構ストレスがありましたね」
「自分のしたことが結果になるシンプルさ」がラーメン屋経営の魅力
会社で働いているときから、脱サラについて考えていたのでしょうか。
樋上さん「新卒から4年間働きましたが、2年目くらいから今の会社に向いてない、自分の価値観には合わないと思い始めるようになりました。当時、私自身が将来のビジョンを持っていなかったのもありますし、実際に入社してみて仕事が合わなかったのも大きいです。評価制度や出世の道筋など、そういうものに納得感がありませんでした」
なるほど。4年で通信系の会社を辞めて、それからなぜラーメン屋を始めることになったのかが気になります。
樋上さん「学生時代、博多一風堂というラーメン屋でバイトをしていて、そこから独立された方のお店で働いていたこともあるんです。
その経験を通して、自分にはお店という小さな規模で、自分が作ったものをお客さんに「おいしかったよ」と言ってもらえるラーメン屋の仕組みが合っているのではと思ったんです。
単純な仕組みで勝負して、それが収入になる。そんなラーメン屋の仕組みが、自分には良いのではないかなと」
それで、会社を辞めてからすぐにラーメン屋を開業されたんですか。
樋上さん「まずは修業ですね。会社員時代は岐阜や名古屋で4年間働いていましたし、当時は関東に住む奥さんと付き合っていたので、どこかのタイミングでこっちに出てきたいと思っていました。それで退職後は、社員募集をかけている有名ラーメン屋に応募して、採用してもらって関東へ出てきたという流れです」
「35歳までに独立する」目標を設定したことで逃げ道をなくした
修業時代は、バイトと同じような仕事をしていたのでしょうか。
樋上さん「店長や料理長のもとで下働きをしながら、技術的なことを教えてもらっていた感じです。管理職ではないけど、バイトとは少し違います。デスクワークから急に15時間くらいの立ち仕事に変わったので、ギャップはありましたが、体力的なところは大丈夫でした。そのラーメン屋には、1年ほど勤めましたね」
そのラーメン屋を辞めてから開業するまで、どのようなことをしていたんですか。
樋上さん「料理のことを一度ちゃんと学ぶために飲食店で働いた後、学生時代にバイトしていたラーメン屋に社員として戻りました。
一風堂から一番弟子として独立された方が、『麺の坊砦』というお店を作ったんです。私も、そこから独立しようと決めていました。5年くらい『麺の坊砦』で社員をして、最終的に35歳で脱サラしました」
35歳で脱サラというのは、もともと目標として持っていたんですか。
樋上さん「サラリーマンの経験を通して目標設定の重要性は理解していたので、35歳までには自分の店を出そうと目標を設定しました。資金の貯まり具合や立場などかなり厳しかったですが、この目標は曲げたくはなかったので、最終的には半ば強引に独立した形になりますね」
脱サラしてラーメン屋を開業したい!開業に必要な準備や資金額とは
300連勤したときの苦労と経験が独立後に活きている
『麺の坊砦』時代に学んだこと、独立してから役に立ったことなどがあれば教えてください。
樋上さん「立ち上げの厳しさ、苦しさはかなり学びましたね。ラーメン博物館店の新規出店を任されたとき、ちょうど大震災が起こった3月だったんです。それで3月からゴールデンウィーク明けの約1ヵ月半、スタッフも全然いないし毎日20時間以上働いていたんですよ。
社員がもう1人いましたが、あとはアルバイトだけ。全部自分でやるしかなくて、月500時間以上働いていました。その年は300連勤くらいしていましたし、睡眠時間も1~2時間だったと思います」
想像を絶する大変さですね…。
樋上さん「35歳で独立したとき、いろんな先輩たちから「雇われているうちの苦労なんて苦労じゃない」と言われたんですが、私にとってはこのときの経験のほうが本当にしんどかった。なので、独立してからは逆に楽だったんです。自分が経営者なので、休みたければいつでも休めるわけですし」
辛かった経験が今に活きているんですね。ちなみに、開業準備は何から始めましたか。
樋上さん「店舗を探すことですかね。ラーメン屋を出すとなると、店が汚れたり油や匂いの問題もあったりするので、貸してくれないところが多いんです。そのハードルは高かったかなと」
開業資金は900万円!メディアの力もあり開業からずっと黒字
開業資金についても知りたいです。
樋上さん「300万円が自己資金で、日本政策金融公庫から600万円を借りました。900万円で独立できる物件となると、やはり家賃10万円代のところしかないんですよね。
10万円台の物件なんてなかなかないですし、アクセスが良くて重飲食を始めるとなるとさらにありませんから。ちなみに、移転後の今の店の家賃は25万円で、その前が122,200円でした」
開業準備は900万円で諸々足りたんですね。
樋上さん「そうですね。物件は居抜きでしたが、使えるような状況ではありませんでした。結局取り壊す費用も払って、作り直した感じですね。機器や設備もないから全部買って、それに自家製麺にこだわりたかったので製麺機も買いました。700万円以上かかったので、運営資金はほとんど残っていません」
結構費用がかかったんですね。ちなみに今の年商はどのくらいですか。
樋上さん「年収は妻と合わせて300万円ですが、役員報酬を低めに設定しているので実際に使える額は1,000万円くらいあると思います。開業してから赤字になったことはありません」
経営が上手くいっているように見えますが、最初から評判は良かったのでしょうか。
樋上さん「オープン前から雑誌の取材があったり、口コミで広めてもらったりしたので、厳しい期間というのは実はなかったんです。1年目からラーメンオブザイヤーという雑誌でグランプリをもらって、それからメディアがどんどん取材をしてくれたのも大きいと思います」
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脱サラには「人生かけて何かをする覚悟」が大切
メディアとの相性が良かったのもあると思いますが、何か経営や商品開発で意識されていることもあるのではないでしょうか。
樋上さん「私は独立する前の2ヵ月間ほど、先輩の店に開店準備をしつつ、手伝いに行ってたんです。そこで先輩の仕事を見て「東京のトップクラスの店はここまでやるんだな」と驚きました。
麺やラー油、甜麺醤などを全て自分で作っている。私も見習いたいと思いましたし、あの2ヵ月間がなければ今の自分はいないのかなと」
実際に独立されてから、思いがけない苦労などはありましたか。
樋上さん「経営者と料理長を2つやらなければいけないことですね。数字を見なきゃいけないし、味も見なきゃいけない。このバランスが難しかったです。今は妻にお金周りのことを任せているので、私は味作りに集中できています」
なるほど。樋上さんが実際に脱サラしてみて良かったこと、悪かったことを教えてください。
樋上さん「良かったことは、好きなことができること。全て自分の責任でやっているのでもちろんしんどいときもありますが、「やるしかない」と思って臨めるようになりました。悪かったことでいえば、老後の積み立てなどを自分で考えなければいけないことですかね」
取材の最後に「人生をかけて何かをする覚悟を決めることが大切」と話してくれた樋上さん。常に商品を磨き上げる努力を続け、覚悟を持ってコツコツと積み重ねてきた樋上さんだからこそ、今のお店の成功があるのかもしれません。
公開日:2023年07月14日