人は人によって磨かれる! 多額の借金から起業した中島庸彰さんの目指すもの

公開日:2016年10月17日

会社員の平均年収は、20年前よりも50万円以上下がっている。そんななか注目されているのが「起業」という選択肢だ。成功すれば、自分のやりたいことを実現しながら、多くの収入を得ることができる。ただ、失敗のリスクにも目を向けなければならない。現在の生活を維持できなくなる不安から、あきらめてしまう人もいるだろう。

株式会社ソーシャル・コア代表の中島庸彰さんは、人脈もお金もない状態で起業した人物だ。
個人事業主として活動し始めたのは22歳のとき。24歳のときには多額の借金に苦しんだが、30歳の現在は、飲食店やシェアハウス、イベント企画、転職支援など多岐にわたる事業を展開している。わずか5年間での大きな変化。いったい、どのような道を歩いてきたのだろうか。

目次

専門学校時代、いまにつながる経験

美容師時代に味わった大きな挫折

ある経営者の言葉が人生を変えた

「ソーシャル・コア」に込めた想いとは

起業を考える人にとって最も大切なことは

株式会社socia'L CORE

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専門学校時代、いまにつながる経験

まずは、中島さんの背景から知っておかなければならない。高校時代までの中島さんは、特に目立つことのない一般的な生徒だったという。だが、卒業後の進路を決めるとき、一つの決断をした。

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「これといった取り柄や、強みがない自分を変えようと思ったんです。そこで、今からでも努力次第で一番になれるものはないかと、以前から興味を持っていた美容師の専門学校に入学しました。このときには『美容師の世界でNo.1になること』と『25歳までに独立すること』を決めていましたから、学校が開く時間から夕方に門が閉まるギリギリまで練習していましたね」

専門学校生といえば19歳か20歳の若者。最も遊びたい年頃だろう。この時期に、将来を見据えてストイックに努力していたのだ。

だが、最初の実技テストで、苦い想いをすることとなった。

「技術が最も下手な3名の中に入ってしまったんです。自分は毎日練習しているのに、授業以外ではまったく練習していないような人が、うまいと褒められていて。あれは、本当に悔しかったですね」

このとき、自分には美容師の才能がないのではないかと悩んだという。だが、中島さんはあきらめなかった。

「テストで成績が良かった人がどんなふうに授業を受けているのか、どんなふうに練習をしているか徹底的に見て、真似してみたんです。うまくいかないことあったら、直接教えてもらうこともありました。もちろん、それを習得できるように、さらに練習を重ねることも忘れませんでした」

こうした努力の結果、中島さんは主席で専門学校を卒業した。入学当初から狙っていた、学校をトップで卒業する、という目標を達成できたのだ。

「専門学校時代にわかったのは、自分なりに考えてやっても、いまの自分以上に成長するのは難しいということです。うまくいかないことがあったら、それが出来ている人に聞くことが大切です。この考え方は、いまビジネスを展開するうえでも活きています」

美容師時代に味わった大きな挫折

専門学校卒業後は、東京の表参道にある美容室に進んだ。

「私が入社したのは、毎日有名な芸能人の方やモデルさんがいらっしゃっていたような人気美容室でした。それだけに仕事には厳しく、朝7時から翌2時まで店にいるようなこともありました。カットモデルを探すために、夜中の渋谷でひたすら声をかけるなんてこともありましたね」

美容師の世界は厳しいといわれるが、まさかここまでとは……。

「ただ、私には『美容師の世界でNo.1になって25歳で独立する』という目標がありましたから、必死になって仕事をしました」

専門学校時代と変わらぬストイックさ。だが、これが仇となってしまう。

「1年半ほど経ったころでしょうか、突然立ち上がれなくなってしまったんです。ヘルニアでした。少し休暇をもらいなんとか復帰したのですが、1週間ほどでまた同じ症状が出てしまったんです。医師からは、美容師の仕事を辞めるように言われてしまいました」

結局、店に迷惑をかけ続けるわけにもいかず、美容室を退社した。美容師の世界でNo.1になるという目標を失った喪失感は大きかったことだろう。

ある経営者の言葉が人生を変えた

それから2年間、中島さんはあがき続けた。

「美容師で大成する目標は達成できませんでしたが、『25歳までに独立する』という目標をあきらめたわけではありませんでした。ただ、ずっと美容師でトップになることばかり考えていたので、他にどんな仕事があるのかもわからなかったんです」

高校卒業後、すぐに美容師の世界に飛び込んだのだから無理もないことだ。

「そこで、とにかく人に会うことにしました。まずは数人の友人に声をかけて飲み会を開いたんです。『25歳までに独立したいんだけど、どうしたらいいだろうか』などと相談しながら、楽しい時間を過ごしました。そして、飲み会の終わりごろ、『次は別の友人を一人ずつ連れてきて飲もう』という話になったんです。やがて、これがどんどん大きくなって、イベントのような形になっていったんです」

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中島さんの友人がそれぞれ一人ずつ別の友人を連れてくれば、新たに2倍の人と知り合う機会ができる。これを続けていけば、無数の人とのつながりができることになる。ただし、問題もあった。

「イベントといっても、当日のキャンセルや、お店の保証人数に満たなかったりで、毎回のように赤字を出していたんです。やればやるほどお金がなくなっていくんですよ。また、このころはいろいろなセミナーや交流会にも毎週いっていたので、とにかく交際費がかかるんですね。派遣とバイトを掛け持ちして捻出していたのですが、お金がない、というのを言い訳に動かない事が嫌だったので、気が付いたら消費者金融から200万円の借金をしていました」

20代前半で200万円の借金……。決して、楽観視できる金額ではない。そんなとき、ある経営者との出会いがあった。

「仕事について相談したところ、その方が『仕事というのは、人が喜ぶものに値段をつけたものなんだよ』とおっしゃったんです。よく本やセミナーで聞いたような話しだったと思うのですが、そのときにはすごくその言葉が刺さって。それまでは、自分が25歳で独立するためにはどうしたらいいかということ、自分の事ばかり考えていましたから。しかし、それではいけないんですね。人に喜んでもらうことが最優先で、お金はそのあとについてくるものだったんです」

自分は間違っていたのかもしれない……。こう考えた中島さんは、イベントで人に喜んでもらうにはどうしたらいいかを考えるようになった。具体的には、どんなことをしたのだろうか。

「イベントに参加してくれた方やスタッフに喜んでもらうことはもちろんですが、会場に喜んでもらうのも大切です。たとえば、それまでは土曜日の夜にイベントを開催していました。ところが、夕方に借り手がなく困っている会場があることを知ったんです。会場はイベント企画者にスペースを貸すことで売上をあげていますから、借り手がいなければビジネスになりません。夕方にイベントを企画する代わりに、安く使わせてもらえるよう交渉してみたんです。会場は、いままでゼロだった時間帯に売上をあげられるようになったことを喜んでくださいました。あくまで一例ですが、これも人に喜んでもらうための方法ですよね」

意識を変えた結果、これまで赤字続きだったイベントから10万円の利益が出た。さらに翌月には70万円の利益が。200万円あった借金もわずか3ヶ月で返済することができた。これまでの努力が実を結んだのだ。

「ソーシャル・コア」に込めた想いとは

イベント事業が軌道に乗ったことを感じた中島さんは、かねてからの目標を実現するため、2012年に株式会社ソーシャル・コアを設立した。25歳のときだった。

それから4年。ソーシャル・コアはBARやカフェなどの飲食業、シャアハウス、転職支援など、次々と事業を拡大していった。一見すると無関係の業界のように思えるが、中島さんによるとしっかり関係しているという。

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「まずは、社名である『ソーシャル・コア』の意味から説明します。『ソーシャル』とは本来『社会的な、社交的な』という意味の言葉ですが、ここでは『人と人のつながり』を意味します。『コア』は『中核』のことですね。つまり、『人と人が出会う中核になる』という願いを込めているのです」

確かに、ふらりと入ったBARで人と知り合うことは多い。シェアハウスは一緒に生活することでつながりができていくものだし、転職支援は人に新たな出会いを生み出す仕事と言えるだろう。そう考えると、実はすべての事業が結びついているのだ。では、人と人とのつながりにこだわるのはなぜだろうか。

「美容師を辞めてからの2年間、私は人と出会うことで磨かれ成長してきました。それぞれの出会いに意味があったと思いますし、感謝しています。ですから、今度は自分が出会いの場所を作りたいと思ったんです」

出会いを通じて、目の前の人の人生を変える――。これがソーシャル・コアの企業理念だ。中島さんの理想を表したものだと言っていいだろう。そんな中島さんにとっては、ソーシャル・コアという会社自体が出会いの場所の一つだ。

「社員の方には、仕事をするなかでさまざまな人と出会い、力をつけたら、2年から3年で卒業してもらっていいと思っています。もちろん、残ってくれるのも嬉しいですけどね」

一般的に、企業は社員の育成を「投資」だと考える。給与を支払いながら有能な社員に育て上げ、ゆくゆくは育成にかかった費用の何倍もの利益を得ようと計算するのである。その一方で、社員の独立を歓迎する企業もある。その是非についての意見はさまざまだが、人と人とを結びつけたいと願う中島さんは後者の立場を取っているようだ。

そんなソーシャル・コアならではの、興味深い取り組みがある。

「弊社のミーティングでは、『人生変化件数』を発表しあっています。人と人が結びついたら、必ず人生に変化がありますよね。これを踏まえたうえで、自分の行動がどれぐらいの人の人生に変化を生んだかを数値化しているんです。たとえば、はじめて誰かとお会いしたとします。その結果、相手の人生に少しでも変化があれば1件と数えるわけです。お礼のメールをいただいたときなどに、本当に変化があったかどうかわかりますよね。逆に、自分の人生に変化があった場合も1件と考えます」

このユニークな取り組みは、徹底的に人と人をつなぐことにこだわるためのシステムのようにも思える。専門学校時代から、ストイックさは変わらないのかもしれない。では、中島さんは、今後どこへ向かっていくのだろうか。

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「会社を大きくするということより、これからも弊社に関わった人の人生を変える存在でありたいと思います。また、これは別法人での事業になりますがホテルをオープンする予定です。2016年11月にまずは一つ、2017年中にはもう一つのホテルを開業します。海外からくる旅行客の方と、日本の現地の人や、旅行客同士が、そこでも出会い、繋がれる場にしたいと思ってます」

出会いの中核でありたいという信念のもと、さらに大きな一歩を踏み出すようだ。

起業を考える人にとって最も大切なことは

最後に、これから起業を考えている人に向けメッセージをお願いした。

「『やりたい』と思うだけでなにもしない状態はゼロと同じです。まずは、なにかを始めてください。仕事のあとに少し勉強してみるだけでもいいでしょう。金銭的な不安があるなら、会社員として勤めながらの起業でもいいと思います。とにかく少しでも動くこと。これが大切だと思います」

失敗のリスクとして思いつくのはどんなことだろうか。年収が低下すること、財産や友人を失うこと、大切な家族を守れなくなること……。だが、安定した収入を確保しながらであれば、踏み出しやすいのではないだろうか。

お金もつながりもない状態から必死に動くことで事業を拡大してきた中島さん。その言葉には説得力がある。小さなことで構わない。とにかくはじめてみてはいかがだろうか。

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株式会社socia'L CORE

http://socialcore.jp/

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http://sb-union.com/

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